情緒を育むこと

先日、安達裕哉さんの記事を読んでいて、深く頷くところがあって、記事内で紹介されていた本も購入した。

頭を使って働く人に、読書が絶対に必要な理由。

祖国とは国語 (新潮文庫)

安達さんのブログにもあったが「知的活動とは語彙の獲得」というのは本当にそうだと思う。

「語彙の重要性」は、大人になり、就職したコンサルティング会社でも散々言われたので、非常に強く認識していることでもある。実際、「利用できる言葉の量が増えること」は、働く人たちにとって非常に重要である。

ディレクターという立場で、クライアントやプロジェクトメンバーと相対していて日々痛感する。

そして、語彙を増やす、つまり知的能力を向上させるのに、読書は最も優れている活動の一つという点にも強く共感する。

この本の中で

「論理」は十全な情緒があってはじめて有効となる。これの欠けた「論理」は単なる自己正当化に過ぎない。ここでいう情緒とは、喜怒哀楽のような原初的なものではない。それなら動物でも持っている。もう少し高次のものである。それをたっぷり身につけるには、実体験だけでは決定的に足りない。実体験だけでは時空を超えた世界を知ることができない。読書に頼らざるを得ない。まず国語なのである。

祖国とは国語 (新潮文庫)

とある。これは、非常に重要な指摘だと思う。

ディレクターという立場に限らず仕事をしていれば本当に多くの他者と向き合わざるを得ない。それぞれ、状況も課題も違う人々とコミュニケーションを取るにあたり、実体験による情緒のみでは足元がおぼつかないと痛感する。

そういえば、別の本だが、「仕事と人生に効く教養としての映画」に、映画を見る意味について似たようなことが書いてあった。

観客は一定の時間をかけて映画の登場人物たちに感情移入していき、彼らの人生を擬似的に生きながら感情の変化を味わえるのです。しかも私たちは、複数の映画を見ることでいくつもの人生を擬似的に生きることができます。時空を超えた他人の一生を見ることができる。

仕事と人生に効く教養としての映画

この情緒があるかないか直接的ではないが、ボディブローのように仕事に生きてくると思うのだ。

自戒も込めて、皆さん本を読みましょう。映画を見ましょう。