僕の見る夢は 秘密だよ
誰にも言えない 秘密だよ
と、昨日散歩をしながら無意識に口ずさんでいた曲が、戸川純さんの「りぼんの騎士」でした。
何故でしょう? 王様の耳はロバの耳ー!と叫びたいような秘密は、特にないんですけどね。
僕は、夜に散歩をするのが好きです。
まわりの景色を見ながら、のんびりと散歩するのではなく、
イヤホンで音楽を聴きながら、わりと早足でスタスタと散歩をします。スタスタ。
散歩をしながら、いろんなことを考えます。
だいたいが、益体のない観念的なものだったり、だれかとの思い出の深堀りだったりです。
考えているうちに、妙にハイテンションになって歌を歌いだすか、妙にしんみりと思い出に浸るか、
とにかく自分の世界に入っていきます。
(だから、僕の散歩ルートはなるべく人気のない道を探し続ける、なんとも怪しいものになります。)
高校時代、僕はたいそうひねくれていました。思春期にありがちなセンシティブでダウナーな感情を慢性的に引きずっており、毎日朝日が昇るまで5時間以上散歩していたような時期もありました。
そのときからずっと、散歩が僕の逃げ道であり、感受性を刺激する衝動的な趣味でした。
僕はそのときから僕自身の感受性に一定の敬意を払っています。
僕が定期的に読むようにしている詩に、こんなものがあります。教科書なんかにも載っている、
茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
「ばかものよ。」
そう叱られないよう、僕は散歩をし続けるのでした。スタスタ。