イッパイアッテナの教養のおはなし

『デザインと教養と想像力で世界を正解でイッパイに』

イッパイアッテナは、こんなミッションを掲げています。
今日は、その中でも教養についてのおはなしをしようと思います。

「教養」を辞書で引くと、こんな言葉が出てきます。

1 教え育てること。

「君の子として之 (これ) を—して呉れ給え」〈木下尚江・良人の自白〉

㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。

㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い—のある人」「—が深い」「—を積む」「一般—」

goo辞書より

イッパイアッテナは、教養を大事にしています。ここでいう教養は2を指しますが、言葉の定義をしてもつまらないので、今回はいくつかの文章を紹介しながら、イッパイアッテナ的教養について一緒に考えていこうと思います。

弊社の社名の由来でもある、『ルドルフとイッパイアッテナ』では、教養に関するいくつかの言葉があります。

「それからな、ルド。おまえ、このあいだの夜、字が読めないブッチーをからかっていただろう。ああいうことをしてはいけない。おれは、ああいうことをさせるために、おまえに字を教えたんじゃないからな。ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこのすることだ。教養のあるねこのやるこっちゃねえ。」

ルドルフとイッパイアッテナ より

つまり、知識をもっているだけでは教養があるとは言えません。持っている知識を、その背景も含めて正しく深く理解し、活用する心の豊かさや優しさがなくてはだめなのです。

ことばを乱暴にしたり、下品にしたりするとな、しぜんに心も乱暴になったり、下品になってしまうもんだ。

ルドルフとイッパイアッテナ より

ここらへんは、ぼくがいつも三大美徳に掲げている「礼節」にもつながりますね。教養をもっている人は、言葉を効果的に、思慮深く使うことができます。ときに乱暴な言葉を使うことを否定しませんが、丁寧な言葉遣いが求められるシーンでそれをできずにまわりを不快にしてしまうのは、教養がない、ということになりますね。

絶望は愚か者の答え

ルドルフとイッパイアッテナ より

これは、ぼくが特に好きな言葉のひとつです。
面白法人カヤック柳澤大輔さんの

アイデアいっぱいの人は深刻化しない

も同じ意味だと思っています。

たとえば、仕事がうまくいかないとき、もうおしまいだ!と思うのは、それがダメだったときにどうしたらいいかというアイデアが足りないからです。これがだめだったら、こういうアイデアがあるな。それがダメでもこういうアイデアがある。ぜーんぶだめでも、こんなアイデアがあるよね。といったふうに、教養がある人は絶望しません。
ぼくもよく、問題が起こったときに「なんでそんなに動じないの?」なんて言われることがあるけれど、メカニズムはこんな感じです。ただ、問題を解決するアイデアと、解決できなかったときに行うアイデアがたくさんあるので、深刻化していない=絶望せずに済んでいるのです。むしろ、いろいろなアイデアを試せてわくわくするときもあるくらいです。

なんとなく、イッパイアッテナの教養の意味が見えてきたでしょうか?

ここに、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩があります。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

生きる
谷川俊太郎

ぼくは、生きるとは何か?を考えて生きることを、教養がある、というのではないかな、なんて思います。

太宰治の『女生徒』という小説には、次のような一節があります。

「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。
花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。」

花を見て美しいと感じられるのは、見た目のキレイさだけでなく、それがいつか枯れてしまうものであるという知識や、それについて考える心があるからだと思います。それを、教養がある、ということなのかな、とも思います。

イッパイアッテナは、よい仕事をするには、こんなふうな教養が不可欠だと考えています。
みんなが心ないものを作り続けると、世界は不正解でイッパイになってしまいます。
そうすると、みんなが少し不幸せになり、世界が少しつまらなくなってしまいそうです。
だから、イッパイアッテナは教養をとても大切にしています。